「エルサレムに大きな喜びがあった」菅原豊牧師
Ⅱ歴代誌 30章 21-27 節
1 主の民がふたたび一つとされるために
神殿を聖めたヒゼキヤ王は 過越祭を全体で行うことを願った
イレギュラーな日程→それでも行うことの意義
Ⅱ 過越祭の意味 主の救いの御業、罪の赦しを覚える
過越→出エジプトのクライマックス 主の救いのみわざ
イスラエルが主の民であることを示す→主の聖餐と関連性 今日の私たちにとっての聖餐
ヒゼキヤ王からの通達への様々な応答
Ⅲ 共に喜ぶ~エルサレムに大きな喜びがあった。
一か月遅れの過越祭 (種をいれないパンの祭り)のために大勢の人々(会衆)が集まった。
単なる集団ではなく、礼拝の民としての集団
エルサレムに大きな喜びがあった。
主の前にへりくだり、悔い改める者たちのささげる礼拝と賛美には大きな喜びがある。